私が彼らを思うということ
10代も後半になって、ジャニーズにハマった。
それはもう見事にハマった。
もともとオタク気質というか、1度気に入ったらとことん推す体質なので、初めてのジャンルであること以外は、特段意外性もなく受け入れられた。
じゃあそれまでは何を推していたかというと、日本史と文芸と、二次元作品である。
どれも、いまを生きてはいない。
実在しないものに、これまで夢中になってきた。
その中でも私が心惹かれていたのは、日本史だった。
特に、歴史物語。
遥か昔の遠く昔、かつてこの日本で生きていた数多の人々の、その一人一人が必ずドラマを持っていて、それらが繋がって、今の日本になっている。
そう思うと、歴史の「物語」の部分に触れることは、まるでタイムスリップのようで、他のどんな娯楽作品よりもドラマティックだと思った。
そういう訳で、歴史を知ることは、私にとってテレビを見るのと同じ感覚だった。
同年代の子たちが、俳優やアイドルに夢中になるのと同じように、歴史上の人物の生涯に夢中になった。
同年代の子たちが、ラブストーリーや学園ドラマに釘付けになるのと同じように、歴史的事件に触れ過去の世界に没頭した。
その気持ちの部分に、なんら差異はなかった。
ただひとつだけ違うのは、私の推しは「生きていない」ということで。
合戦でどうしてこの場所にこの人を配置したのか、とか、
なぜあのタイミングで和解しようと思わなかったのか、とか、
疑問に思うことは湧くように溢れ出てくるのに、今となっては、それを答えてくれる人なんてどこにもいない。
全ては後の世の人々の推測に過ぎない。事実はなくそこには解釈があるだけ、ってやつ?
前後関係から読み解いても、人の心なんて他人には分からないし、そもそも意味なんて最初から無いようなものなのかもしれない。
そもそも推しが本当に生きていたかどうかすら分からない。
分からない。
寝て起きたら「全て嘘でした!」と言われてもおかしくないような不安定な土台の上に、私の「推し」は成り立っていた。
だから、本当はちょっと羨ましかった。
生きている人間を推すというのが、ちょっとだけ羨ましかった。
推しの人生がリアルタイムで進んでいく時、毎分毎秒欠かさず同じ世界で過ごすことが出来るなんて。
なんて素晴らしいことだろう。
推しと同じ時代の、同じ星の、同じ国で生きていけるなんて………
現世で徳を積んだら叶うかな?
なんて半分本気で思っていた。
すると、転機というのは案外早く巡ってくるもので、ほとんど偶然のようにして、私は関ジャニ∞に出会った。
そして当然のように恋に落ちた。
恋という表現が、正しいのかどうかは分からないけれど。
それでも、日々飽きることなく恋焦がれているのだから、あながち間違いでもないだろう。
そんな私だから、新規も新規、ド新規だけれども、好きになった時は、
「ああ、やっと会えたね」
という気持ちになった。
一方的にね。
いろいろ、現状について、言いたいことも言えないこともある。
彼らのやることなすこと、すべて受け入れられるファンばかりじゃない。
そんなの当然だ。
だって人間なんだもの。
そう。人間だよ。
私が人間であると同時に、彼らだって人間だ。
やりたいことが変わることだってあるだろう。
言ったことが嘘になることだってあるだろう。
それを憤るも受け入れるも個人の自由。
ただ私は、できる限りは肯定的な立場でいたい。もちろん、倫理的にアウトなこととか、犯罪とかは別にしてね。
やりたいことをやっている彼らを、私の「期待」と「偏見」で押し潰してしまうのは、なんだかあまりに勿体ない。
先にも述べたとおり、私なんかは「推しが生きていない」状況から入ったわけで。
今の、「推しと同じ世界を生きている」という状況が、今でも信じられないくらい、幸せで。
ほんの2年前までは、私の推しの行動は既に過去の出来事で、何か決定的な証拠が現れない限り、変化することも確信することもなかった。
それが今はどうだ。
「何が起きるか分からない」
これってすごく残酷なようで、でも同時に、ある種の特権だと思う。
なぜって、それは推しが生きていることの裏付けでしかないんだもの。
推しの意見が変わること、
行動や性格が変わること、
本当ばかりではないこと、
そのどれも、推しが現実を生きていることの確かな証明でしかない。
生きている人だから変化するし、変化するのが当たり前。
でもその当たり前すら実感できなかった過去の私から考えれば、今はものすごく贅沢だなと思う。
これはもちろんわたしの考えだから他人に強要する気なんてさらさらないし、
彼らのことを批判する人たちのことを恨みがましく思ったりもしない。
ただ、「変わってゆくこと」自体も愛おしく思う、そんな推し方もあるよね、という話。
お花畑だと思われちゃうかな?
でも、盲目になっているつもりは一切ない。
何もかも肯定するなんて絶対に無理だし、擁護しすぎることが愛だとも思わない。
ただ、全肯定も納得もできなくて、彼らに対してどこか仄暗いモヤモヤを抱えていたとしても、それでも応援していていい、っていうのは、ファンの特権だと思うから。
いまを生きる人が、歴史になっていく様を私は見ている。
そういう気持ちで、いつも応援している。
だから、8人も7人も6人もなかったことにしない関ジャニ∞さんの姿が、頼もしくて愛おしくて仕方がない。
過去と未来と現在と、織り成す歴史も含めて愛したい。いつか、こんなこともあったね なんて言って笑いたい。そうして、彼らの歴史のほんの一部になれたらいいな。
そうやってこれからも応援していくよ。
何かがあったわけじゃないけど、ふとそんなことを思った水曜日の夜でした。
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